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伊藤祐靖著 『国のために死ねるか』を読んだ

伊藤祐靖著 『国のために死ねるか』を読んだ。

伊藤氏の人生ドキュメンタリーとして読むことができ、すごく面白い。
ミリタリー好きとして純粋に好奇心を満たされる話がてんこ盛りである。
能登半島沖不審船事件の描写や特殊部隊創設にあたって目の当たりにする日本と世界の軍隊の内情あれこれなども相当面白いが、やはりミンダナオ島での20代の女性ラレインとの訓練の話は最高である。
ラレイン氏のキャラクターは完全にフィクションの世界のそのものであり驚くばかりだ。
ラレイン氏に息衝いている殺し合いの生々しさとミンダナオ島の文化、そして20代の女性らしいチャーミングさが相俟って、本書におけるラレイン氏は恐ろしく妖艶で魅力的な人物に映る。
そのような人がこの世にいることと、そのような人を生む環境がこの世にあることに思いを馳せざるを得ない。


ところでこの本の帯を書いた人はこの本をどう読解したのだろうか。

DSC_0447.jpg

このような分かりやすくポピュリズム的な内容だったであろうか。
全くもってヒューリスティックではない、迂回の物語ではなかったか。
引用という暴力は慎重に扱わなければならない。
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許しと愛と存在と

芸術とは許してくれるものだと思う。
ぼくが映画という芸術を好きなのは、それがぼくの避難所であって、そこにおいてぼくの存在が許されるからだと思う。


俳句のある性質においてこの事態が端的に顕現している。
「琴箱や古物店の背戸の菊」と詠んだ瞬間、存在は許された。
「いる」・「ある」という存在、単純で素朴な存在を認めてもらうこと、これが“許し”である。

夕暮れ時、窓の外を眺める、斜向かいの家の垣根の下を猫が歩いている、その隣を自転車が通る、遠くには夕日を背負った大きな鉄塔が見える。
夏、白昼、ベッドの上で仰向けに寝る、頭上で唸るクーラーを見つめる、部屋は冷たい、強い日光はカーテンで受け止めきれずに私を射す、外では蝉が喚く。
私の存在は許された。

この情景は真実であり、究極的な存在であるところの真実、その真実の理、すなわち真理において、私の存在は許された。


このような許しが先鋭化されたものが愛であろう。
愛しているとき、愛されたとき、そして、愛されていることを実感しているとき、そのときはじめて充実して存在し始める。つまり、生きることを許されるのである。
生きるとは意味的な世界に参入することであり、無機質な世界にいることをここでは「生きる」とは言わない。
生きることは難しい。
この世界の二重構造の狭間で人は苦悩するのではないか。
そして、生きることの難しさに直面した時、人は芸術を求め、存在の許しを乞うのである。
そうにちがいない。


それゆえ芸術は許すものでなければならない。
この点で芸術とは人の生存をかけた最重要の創造行為なのである。


数字化される死者

2015年11月、13日の金曜日、パリで同時多発テロが起きた。

死者は約130人。


たったの130人である。



わたしはこのパリ同時テロを受けて、ジョルジュ・バタイユが「広島のひとたちの物語」の冒頭で突きつける客観的事実を思い出した。

世界では一日に15万人以上の人々が死んでいるらしい。
自然死、病死、事故、飢餓、殺人など、様々な理由で人々は死んでゆく。
(シリア人権監視団によれば、)シリアでは2011年から2015年にかけて約25万人(うち民間人は約11.5万人)が紛争で死んでいる。
単純計算をして、シリアで一日のうちに紛争で死亡する人数は約136人(うち民間人は約50人)である。



純粋な感性を持った人間は、パリで死んだ130人に対する哀悼とまったく同じものを、シリアで死ぬ130人にも、世界で死ぬ15万人にも有している。

そのような悟りの境地にたどり着くことは容易くなく、言ってしまえば不可能であると私には思うが、この不可能性を不可能性として真摯に受け止めることが、パリの惨劇と不幸に対して残された者が為すべき倫理だろう。

決して救済しきれぬ不幸を可能性の内に消化することで、建て前上の解決は得られるかもしれない。
しかし、今やその外観は亀裂に覆われすぐにでも崩れようとしている。

不幸の内にとどまり、かの不可能性を真剣に生き抜かねばならないことに、人びとはすでに気づいているはずだ。


至高の感性の瞬間的現在を生きようとしない者に未来は訪れないだろう。





「広島のひとたちの物語」については、ジョルジュ・バタイユ(1972)『戦争/政治/実存』山本功訳(二見書房)、を参照。

「平和のため」の戦争

NHKで放送されていたデジタルリマスター版『映像の世紀』が終了した。
放送を見て思ったところの一つとしては、戦争開始の宣言にもれなく「平和のため」という文言が付くことである。

「第11集 JAPAN 世界が見た明治・大正・昭和」に収録されている東条英機のラジオ放送演説が分かりやすい。
その演説は「大詔を拜し奉りて」と名づけられている。
以下にその内容を部分的に引用する。

以下引用:NHK戦争証言アーカイブス、戦時録音資料、2015/10/10アクセス
「大詔を拜し奉りて(上)」〈http://cgi2.nhk.or.jp/shogenarchives/sp/movie.cgi?das_id=D0001400294_00000〉
「大詔を拜し奉りて(下)」〈http://cgi2.nhk.or.jp/shogenarchives/sp/movie.cgi?das_id=D0001400295_00000〉


「東亜全局の平和はこれを念願する帝国のあらゆる努力にもかかわらず、遂に決裂のやむなきに至ったのであります。」
「これに対し帝国は、あくまで平和的妥結の努力を続けてまいりましたが、米国はなんら反省の色を示さず、今日に至りました。」
「事ここに至りましては、帝国は現下の時局を打開し、自存自衛を全うするため、断固として立ちあがるのやむなきに至ったのであります。」
「省みれば我等は、今日まで隠忍と自重との最大限を重ねたのでありまするが、断じて易きを求めたものでなく、また敵の強大を恐れたものでもありません。ひたすら世界平和の維持と、人類の惨禍の防止とを護念(ごねん)したるにほかなりません。しかも敵の挑戦を受け、祖国の生存と権威とが危うきに及びましては、決然立たざるを得ないのであります。


つまり、
「東亜全局の平和」、「世界平和の維持」のために、「あくまで平和的妥結の努力を続け」、「隠忍と自重との最大限を重ねた」が、「敵の挑戦を受け、祖国の生存と権威とが危うきに及びましては」、「自存自衛を全うするため、断固として立ちあがるのやむなきに至った」。

これが「大詔を拜し奉りて」で語られる太平洋戦争をした理由である。
そしてこの理路のなんと整ったことか。
一見して東条のこの論理はまったくもって正当である。
しかし、この一見明白な正当性が問題なのである。

戦争開始のこの論理、つまり、「自存自衛」(主権を守る)ために最終手段として戦争を行うことが、国民国家体制において正統に認められており、国家の集合として成る現在の世界において正当と認識されていること。

このことが問題なのである。

ここで、かわぐちかいじの『沈黙の艦隊』から海江田史郎の言葉を引用させてもらおう。

「人間は一人一人自由であるべきですが、自らの自由を守る権利を国家の保護のもとに行使すれば、必ず国家間の戦争を生みます」 (かわぐちかいじ(1998)『沈黙の艦隊 16』講談社漫画文庫(株式会社講談社)p.155)

そして皮肉なことに、戦争においては、保護されるべきはずの個人は無視され、個人が死ぬのである。
(だからこそいかなる戦争もしてはならないと私は考える。)



常識や通念に反してこう考えられるのではないだろうか。

すなわち、

これまで起きたすべての戦争は、平和のための戦争であって、自衛のための戦争であったと。


戦争は常に「平和のため」に行われてきたのであるが、戦争が諸個人に平和をもたらしたことは一度もないのである。

義務とはなにか(当為とはなにか)

義務とはなにか。


当為とはいかにして発生するのか。


哲学者(現象学者)フッサールは哲学者の「人類の公僕」としての自覚を説いた。

それは、哲学者は人類の公僕でなければならないということだ。
人類の公僕であることが哲学者の義務であるということだ。


義務とはなにか。当為とはなにか。

「なすべきだ」「あるべきだ」と述べることはどういうことか。

「命を殺めてはいけない」というが、命を殺めることが悪であるという真理は存在しない。

超越論的主観性の前で、信じていた絶対的な善悪が無化される。



現象学的還元を以てこの唯一絶対の世界は括弧に入れられ、超越論的還元を以てすべての可能的な世界は相対的である。

しかし、

それでもわれわれは、能動的・受動的な志向的構成がもたらす世界の中に住んでいるのであって、現出者は我々の眼前に肉薄し、あたかも絶対的かのごとき存在妥当性をわれわれに迫っている。



このことこそが自由な人間の力である。

まさにこのことが当為を生むのである。

世界の相対性の中で善悪という現出者をまざまざと存在させられることが義務を可能にするのである。


このような主体であるわれわれは、この自由の力を、それが自由であるがゆえに、慎重に扱わねばならない。

慎重に義務を設定しなければならない。


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