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手について 1

1としたが、2を書く予定はない。


大学で講義を受けているときなどによくあることなのだが、

自分の斜め前に座っている女性が、片肘をつき、耳の上あたりの髪の毛を指先で弄くっていることがある。

私はしばしばその手に見とれてしまう。誰も気づいていないのを良いことに穴が開くほど見ていることもある。

冬になり、寒さ厳しいこの頃は、心なしかほんのりと肌の白さと赤みが目立ち、

また、長袖の生地の波打つ皺と対照的に、袖先からするりと伸びた手首から指先にかけての曲線の美しさが際立っている。

髪をいじくる手つきのいやらしさもある。

ぎりぎり顔を見ることができない斜め後ろからの姿、「見返りそうで見返らない美人」ともいえる、その寸分のヴェールによって、私は、犬がえさを前に「待て」と言われているような、欲望の対象を目の前にしてのお預け状態、プチ禁欲状態に置かれているわけだが、その禁欲状態こそが逆に欲望を一層膨らますのは道理であって、では、そのエロティックな誇大妄想の行くつく先はどこかと言うと、見えない顔のすぐ隣で、素顔を見せている=地肌を恥ずかしげもなく晒している〈手〉となるのは自然であろう。〈手〉に私の妄想が結晶する。


そもそも、若い女性の手とはきめ細かく繊細である。(人によるが)

特に上記のような状態においてはますますその美しさが目立ち、思わず自分の手を見返すのだが、決して汚くはないものの毛の生えて浅黒く、若干深爪している手と比較して、斜め前の女性の手の純真無垢なことに感嘆するばかりである。

ところで、「手」とは何かと考えると、それは道具である。

道具とは何かのために酷使され、傷つくものである。

職人の手や主婦の手が重々しく感じられるのは、彼らの手が紛れもなく道具であり、年々と蓄積したその疲労ともいえるものが垣間見えるからである。

その彼らの手とは正反対なのが、私が性的感情とともに見惚れた若き女性の手である。

おそらく私は、頼りなく、か細い、汚れなき純白な若女の手が、一方で、道具としてどこかで、鞭打たれ、汚されていることに興奮しているのだろう。



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