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義務とはなにか(当為とはなにか)

義務とはなにか。


当為とはいかにして発生するのか。


哲学者(現象学者)フッサールは哲学者の「人類の公僕」としての自覚を説いた。

それは、哲学者は人類の公僕でなければならないということだ。
人類の公僕であることが哲学者の義務であるということだ。


義務とはなにか。当為とはなにか。

「なすべきだ」「あるべきだ」と述べることはどういうことか。

「命を殺めてはいけない」というが、命を殺めることが悪であるという真理は存在しない。

超越論的主観性の前で、信じていた絶対的な善悪が無化される。



現象学的還元を以てこの唯一絶対の世界は括弧に入れられ、超越論的還元を以てすべての可能的な世界は相対的である。

しかし、

それでもわれわれは、能動的・受動的な志向的構成がもたらす世界の中に住んでいるのであって、現出者は我々の眼前に肉薄し、あたかも絶対的かのごとき存在妥当性をわれわれに迫っている。



このことこそが自由な人間の力である。

まさにこのことが当為を生むのである。

世界の相対性の中で善悪という現出者をまざまざと存在させられることが義務を可能にするのである。


このような主体であるわれわれは、この自由の力を、それが自由であるがゆえに、慎重に扱わねばならない。

慎重に義務を設定しなければならない。


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漫画『よつばと!』について―「よつば」と「ねこ」

ふと「よつばと!」を読み返し、YouTubeでBSマンガ夜話を見た。


番組の中で、小岩井家の家族感の希薄さから「よつばはペットに近い?」という発言が出ていたが、

そう聞くと、よつばは「ねこ」みたいかもしれないと感じた。


「よつばと」のリアリティを保つためには、よつばの立ち位置は確固たる関係の上にあってはならないため、家族関係や友達関係などの諸種の鋳型にがっちりはまることは許されない。

よって、よつばは何者かを探れば探るほど、「よつばは○○だ」と言えば言うほど、よつばを捉えることができなくなるのである。

しかしながら、それにもかかわらず、BSマンガ夜話での発言から、私は「よつば=ねこ」という同一性をふと感じ、それを違和感なく受け入れられると思った。


よつばにとって自分の家は仮住まいのごとく、昼間はもっぱら家を出て近所を散歩し、遊び、お隣さんの家でおやつをもらう。

(動物としての猫ではなく、)いわゆる「ねこ」のように、おもむくままに日々を暮らしているかわいい生き物で、子ども、家族、友だち、ペット、のどれでもなくどれでもあるような存在である。


道端でその姿を見るとうれしい気持ちになる。何をしているのか気になり後を追っかけたくなる。もっと近しい間柄になり一緒に遊びたいと思う。

その存在が日々に小さなよろこびをくれる、いてくれないとちょっとさびしい、プチファンタジスティックな近隣住民。

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Author:ごろぅ

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