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「平和のため」の戦争

NHKで放送されていたデジタルリマスター版『映像の世紀』が終了した。
放送を見て思ったところの一つとしては、戦争開始の宣言にもれなく「平和のため」という文言が付くことである。

「第11集 JAPAN 世界が見た明治・大正・昭和」に収録されている東条英機のラジオ放送演説が分かりやすい。
その演説は「大詔を拜し奉りて」と名づけられている。
以下にその内容を部分的に引用する。

以下引用:NHK戦争証言アーカイブス、戦時録音資料、2015/10/10アクセス
「大詔を拜し奉りて(上)」〈http://cgi2.nhk.or.jp/shogenarchives/sp/movie.cgi?das_id=D0001400294_00000〉
「大詔を拜し奉りて(下)」〈http://cgi2.nhk.or.jp/shogenarchives/sp/movie.cgi?das_id=D0001400295_00000〉


「東亜全局の平和はこれを念願する帝国のあらゆる努力にもかかわらず、遂に決裂のやむなきに至ったのであります。」
「これに対し帝国は、あくまで平和的妥結の努力を続けてまいりましたが、米国はなんら反省の色を示さず、今日に至りました。」
「事ここに至りましては、帝国は現下の時局を打開し、自存自衛を全うするため、断固として立ちあがるのやむなきに至ったのであります。」
「省みれば我等は、今日まで隠忍と自重との最大限を重ねたのでありまするが、断じて易きを求めたものでなく、また敵の強大を恐れたものでもありません。ひたすら世界平和の維持と、人類の惨禍の防止とを護念(ごねん)したるにほかなりません。しかも敵の挑戦を受け、祖国の生存と権威とが危うきに及びましては、決然立たざるを得ないのであります。


つまり、
「東亜全局の平和」、「世界平和の維持」のために、「あくまで平和的妥結の努力を続け」、「隠忍と自重との最大限を重ねた」が、「敵の挑戦を受け、祖国の生存と権威とが危うきに及びましては」、「自存自衛を全うするため、断固として立ちあがるのやむなきに至った」。

これが「大詔を拜し奉りて」で語られる太平洋戦争をした理由である。
そしてこの理路のなんと整ったことか。
一見して東条のこの論理はまったくもって正当である。
しかし、この一見明白な正当性が問題なのである。

戦争開始のこの論理、つまり、「自存自衛」(主権を守る)ために最終手段として戦争を行うことが、国民国家体制において正統に認められており、国家の集合として成る現在の世界において正当と認識されていること。

このことが問題なのである。

ここで、かわぐちかいじの『沈黙の艦隊』から海江田史郎の言葉を引用させてもらおう。

「人間は一人一人自由であるべきですが、自らの自由を守る権利を国家の保護のもとに行使すれば、必ず国家間の戦争を生みます」 (かわぐちかいじ(1998)『沈黙の艦隊 16』講談社漫画文庫(株式会社講談社)p.155)

そして皮肉なことに、戦争においては、保護されるべきはずの個人は無視され、個人が死ぬのである。
(だからこそいかなる戦争もしてはならないと私は考える。)



常識や通念に反してこう考えられるのではないだろうか。

すなわち、

これまで起きたすべての戦争は、平和のための戦争であって、自衛のための戦争であったと。


戦争は常に「平和のため」に行われてきたのであるが、戦争が諸個人に平和をもたらしたことは一度もないのである。

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