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数字化される死者

2015年11月、13日の金曜日、パリで同時多発テロが起きた。

死者は約130人。


たったの130人である。



わたしはこのパリ同時テロを受けて、ジョルジュ・バタイユが「広島のひとたちの物語」の冒頭で突きつける客観的事実を思い出した。

世界では一日に15万人以上の人々が死んでいるらしい。
自然死、病死、事故、飢餓、殺人など、様々な理由で人々は死んでゆく。
(シリア人権監視団によれば、)シリアでは2011年から2015年にかけて約25万人(うち民間人は約11.5万人)が紛争で死んでいる。
単純計算をして、シリアで一日のうちに紛争で死亡する人数は約136人(うち民間人は約50人)である。



純粋な感性を持った人間は、パリで死んだ130人に対する哀悼とまったく同じものを、シリアで死ぬ130人にも、世界で死ぬ15万人にも有している。

そのような悟りの境地にたどり着くことは容易くなく、言ってしまえば不可能であると私には思うが、この不可能性を不可能性として真摯に受け止めることが、パリの惨劇と不幸に対して残された者が為すべき倫理だろう。

決して救済しきれぬ不幸を可能性の内に消化することで、建て前上の解決は得られるかもしれない。
しかし、今やその外観は亀裂に覆われすぐにでも崩れようとしている。

不幸の内にとどまり、かの不可能性を真剣に生き抜かねばならないことに、人びとはすでに気づいているはずだ。


至高の感性の瞬間的現在を生きようとしない者に未来は訪れないだろう。





「広島のひとたちの物語」については、ジョルジュ・バタイユ(1972)『戦争/政治/実存』山本功訳(二見書房)、を参照。
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Author:ごろぅ

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